北の大地で研修中 ニポラー日記
家庭医・総合医をめざして北海道の各地でニポラー(ニポポ研修医ニポポ研修OB)が活躍中です。 そのニポラー(研修医とOB医師)と指導医の日記です。楽しんでお読みください 。
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2010
12,17
12:57
医介輔さんの思い出
CATEGORY[日々思うこと]
ちょっと前の日本テレビ系列のドラマで「ニセ医者と呼ばれて」という医介輔さんの話が放映されていた。内容はともかく僕は懐かしく見た。医介輔さんに会ったことがあったからだ。
医介輔とは第二次世界大戦後、アメリカ領となった沖縄で医師免許を持たずに医療行為を許された方々をいう。沖縄はもともと医学部もなく、また戦争で多くの医師を失い極度の医師不足におちいったのだ。このため米軍の特例で元衛生兵など医療関係者に特に離島ややんばるなど僻地における医療行為を許したことがきっかけである。
医介輔という制度の是非はさておき戦後の沖縄医療の一翼を担ったことは否定できない。沖縄という視点だけでなく日本の地域医療を一時担ったこの制度は、再び地域医療が崩壊しつつある現代の、良い前例ともなりえるかもしれない。
この制度を知ったのは僕が高校生のときで、父親から聞いた。ちょうど地域医療の小説や単行本をさかんに読んでいた時期で、「よし、大学に入ったら医介輔に会いに行こう」と決意したのである。若かった。残念ながら決意してから
2
年ほど待たされたのだけれども。
で、大学
1
年の夏休み、剣道部の西医体が終わってからすぐに沖縄八重山諸島にある竹富島に渡った。良く揺れるフェリーだったことを昨日のように思いだす。
そのとき
JTA
(旧南西航空)の機内誌でコーラルウェーという雑誌があって、そこに竹富島の親盛長明先生が掲載されていた。戦争で片腕亡くしていたもののとびっきりの笑顔で優しそうな先生。この人に会いに行ったのだ。
予想通り偉人だった。そのときも随分と高齢だったが、元気だった。島の人々は先生、先生と慕っていた。
「先生が居るからさあ、随分助かってるわけよ。」
皆、そう言っていた。
帰りに本当に寄って、県庁も少し取材し、このときのインタビューを小さな冊子にまとめた(実は文芸部でもあった)。自分で言うのもなんだが好評で、全国の方に配ったりした。いい思い出だ。そういえばご当地の琉球大学の学生からも問い合わせがあったような気がする。
久しぶりに探してみるかな、あのときの冊子。今はちょっと疲れているけれど、読み返せば、あのときの新鮮な気持ちがよみがえるかもしれない。
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