北の大地で研修中 ニポラー日記
家庭医・総合医をめざして北海道の各地でニポラー(ニポポ研修医ニポポ研修OB)が活躍中です。 そのニポラー(研修医とOB医師)と指導医の日記です。楽しんでお読みください 。
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2012
08,17
09:08
24回家庭医療学夏期セミナーに参加して
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札幌医科大学地域医療総合医学講座の助教の稲熊です。
8月4・5・6日の3日間に熱海市で行われたプライマリ・ケア連合学会の第24回家庭医療学夏期セミナーに参加してきました。
例年このセミナーは日本全国のプライマリ・ケアや地域医療に興味のある学生さん達が集まり、合宿形式で様々なワークショップや講義を受けて学んでいきます。
会場のニューウェルシティ湯河原、大変立派なホテルでした。
今回は北海道プライマリ・ケアネットワークの紹介のポスターセッション参加と、「医療コミュニケーション」についての講義を行って来ました。こうした広報活動や講義を通じて興味のある学生さんに北海道の地域医療について知ってもらいながら、将来的に北海道の地域医療の参入予備群を形成することがねらいです。
「医療コミュニケーション」は大学内で講義資料として纏めてきたものを学生、初期研修医向けに作りなおしたものです。今回はセミナー向けで対象者は合宿中の20歳前後の若者たち!ということで、彼らの最大の関心事である「恋愛」と「医療」を絡めながら、対人コミュニケーションの共通の基本(心理・言語的/非言語的コミュニケーション・職業的なコミュニケーション背景)について解説しました。内容については前日まで利尻当直中の松浦助教と遠隔インターネット会議を使ってかなり吟味し、練り上げたお陰で大変好評でした。なにより「札幌医科大学に行けばこのような面白くてためになる講義が聞けるのか」と言われた事は講師として大変嬉しかったですね。
ポスターセッションは北海道からは当ネットワークも含めて4施設が参加していました。皆それぞれ人員を繰り出して熱心に説明とリクルート活動をやっていました。ポスターも今回に向けて旧来のポスターを刷新するデザインにしたのですが、当日貼りだしてみると、大事な所に誤字発見・・・・。画竜点睛を欠くというか・・・さらにスタッフは自分一人だったので、セッションの後半は講義の準備に重なってしまいました。このあたりを反省材料にして次回はより良いものにしたいと考えています。
夜は夕食後に学生さんと膝を付き合わせて懇談会を行い、進路の相談に乗ったり、ゆっくりと温泉に入ったりしながら親睦を深めることができました。今回私は初参加でしたが、我々の世代では想像も出来なかった全国規模の学生セミナーをITなどを駆使して組織化し運営している行動力と熱意には大変刺激を受けました。指導医側としても、彼らを惹きつける事ができるように精進して行かなければならないと気持ちを新たにしました。
将来この夏期セミナーで出会った若者たちの中から、北海道の地域医療に来てもらい、共に働く人材が出てきてくれる事を願ってやみません。
[0回]
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2011
06,06
13:21
将棋の話2
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性懲りもなく将棋の話です。
今回も棋士の個性について。
前回は誰でも知ってる人気棋士ばかりでしたが、
今回は将棋ファンじゃなければなじみの薄い面々について独断と偏見で語ります。
丸山忠久・・・・元名人。羽生世代の一人。角換わりという戦法のスペシャリスト
棋士には珍しくジムで体を鍛えている。でも将棋さす時は静かに音もなく。
良く食べる。2人前とかザラ。対局中カロリーメイト食べてることもある。
優勢な局面で一気に決めずに相手の手足をもぐような何もさせない手をさす。通称激辛流。
*食事・・・・プロの公式戦だと朝始まって夜中まで続くこともある。
脳みそ使うので結構栄養は大事。頭に糖分補給をちゃんとね。
加藤一二三・・・・神武以来の天才と称された老年に達する元名人棋士。
敬虔なクリスチャン。逸話が多くてとても書ききれない。
食事はいつもうな重。対局中に庭の滝を止めさせる。猫に餌やり裁判、敗訴。
休憩中に讃美歌。勝ちを見つけて奇声。『あと何分』と数秒おきに聞く。等
老年に達しても勝負への意欲は衰えない。矢倉や棒銀などの戦法に独自のこだわりを持つ。
勝俣清和・・・・解説名人。専門的で分かりにくい定跡を一般人にも分かりやすく解説する。通称教授。
将棋の実力についてはパッとしない。あんま勝ったの見たことない
広瀬章人・・・・若手の実力者。王位のタイトルホルダー。振り飛車穴熊を得意とする。通称穴熊王子
ラクダに似ている。プロ棋士と早稲田の学生を掛け持ちしていた。
穴熊は他の戦法とは別の感覚と言われており、は自分が組むのも、相手を崩すのも得意。
窪田義行・・・・昭和の男前の風貌。独特の感性を持つ振り飛車党。
ゴチャゴチャした乱戦の長手数の戦いが得意。
俗にいう窪田ワールドに引き込んだら実際の形勢はともかく窪田ペースと言えるだろう。
ブログもごちゃごちゃしていて読みにくい。
銀河英雄伝説という小説のファンで、ネットでは銀英先生と言われる。
*銀河英雄伝説・・・・田中芳樹著の宇宙を舞台にした大河ドラマ。
銀河帝国と自由惑星同盟の2つにわかれた宇宙でそれぞれの陣営に属する
ラインハルトとヤン・ウェンリーの二人を主人公にした物語。
私もファンであり、特にアニメシリーズにはまった思い出がある。
豊川孝弘・・・・軽妙なトークとおやじギャグでファンから人気の棋士。通称ファイター豊川。
闘志あふれる将棋が魅力。NHKのテレビ対局で2歩という反則負けをしてしまったことで有名。
昼休み終わるのでこの辺で。
好評ならまたやります。そうじゃなければ普通のブログやります
[4回]
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2011
04,15
12:46
学生実習
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昨日札幌医科大学から実習に来ていた学生が帰って行きました。
ポリクリの地域医療の枠で、5年生と6年生の二人がきてました。
今思い返せば大学のポリクリってなんのためにもなってないですよねぇ。
私はポリクリの経験により『絶対に大学病院では研修しない』と心に誓ったのでした。
北海道に来てからこういう学生さんの相手させてもらうこと多いんですけど
まぁ、そうならんといいなぁと思ってます。実際に診療に参加してもらい悩んでもらう。
医学ってのは試験のためのものじゃなくて、患者さんのために使うものと実感できればいいなぁとかさ。
ま、だいたい冗談ばっか言ってたり、意味もなく撒いたりもしてっけどな。
学生に話聞くと結構地域医療に興味あるっぽい人もいるんだよな(まぁリップサービスかもだけどさ)
なのに実際に総合医とか?家庭医とか?そういうの志望する人はまず少数だ。
それがなんでかって話をしだすと長くなるので今日はこの辺で。
2週間お疲れ。
[3回]
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2010
12,07
13:19
青森紀行8
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ローカル線で青森駅へ。
2
両しかない普通電車は満席であった。私は立って車窓に流れる景色をぼんやりと眺めていた。稲刈りが終わり、落ち穂が芽を出している。ススキが満開で風に揺れて秋の風情だった。
途中、ガイドブックで見た昭和大物と五重塔が見えた。昭和の建造物だから文化財的な価値はないと思うが、飛鳥を思い起こさせた。
青森駅に着く。コインロッカーに荷物を置き、さあ、今日も散策へ出発だ。
秋なのに少し暑いくらいの陽に照らされながら歩く。もう少し近いかと思っていたが、目的地の県立郷土館は意外に遠い。地図通りに歩く。なんだか雰囲気が怪しい飲み屋街に入っていく。合ってるのかな、と不安になり始めたころに到着した。ひとまずほっとする。
郷土館では特別展が開催されていた。「境界に生きた人々」という展示会。他に誰も見学者がいなかったが、素晴らしかった。
一般に東北に住んでいた民はまつろわぬ民という言葉が有名になったように大和朝廷にたてついた悪党といった風潮が通っている。例えば坂上田村麻呂の前にも「悪路王」が討伐されたりしている。しかしそこに展示された民具や文化遺産は平和な生活を表したものであった。前述の赤坂によれば大同年間に東北各地に大和的な文化流入の痕跡があるという。それはすなわち日本民族の侵略であろう。それに抵抗することは「まつろわぬ」ということなのだろうか。そののちの仏教文化の流入を見ても、なにか物悲しい感じにうたれてしまった。安倍、清原、奥州三代へと連なる栄華と滅びが東北を生きた縄文の衰退に思えて悲しかった。
人魚供養札というのがあった。間違えて人魚を釣ってしまった絵画まであった。その札には
あな かわいそう 殺してしまえ そわ可(訳)
と書かれていた。どういう解釈をすればいいのだろう。
常設展示も素晴らしい。亀ヶ岡で有名な遮光式土器(ドラえもんの「日本誕生」という映画で飛び回っていたヤツ)もあった。三内丸山の説明を聞いていたのでたいへんよくわかる。楽しい。実際に出土した土器を触ってみることが出来るコーナーもあって、その重さにびっくりした。意外に重くて丈夫なものだ。
黒曜石の分布図に感動。東北一円の黒曜石の産出地は赤井川、十勝だという。アイヌは縄文民族の末裔と考えると、こんなにも行動範囲が広かったか、なるほど津軽海峡は「しょっぱい河(アイヌ語訳)」であって移動を妨げるものではなかったのだなあと思った。
三内丸山の板状土偶や縄文ポシェットも展示されていた。
ここの展示はそれだけにとどまらない。自然コーナーでは熊やカモシカ、隕石まで展示されていた。
歴史コーナーで印象に残ったのはアイヌ衣服が東北の人々の防寒着、仕事着であったこと、そしてアイヌの住む村があったこと。ある海沿いの村ではアイヌ名の家が
20
戸も書かれた地図が展示されていた。小泊、夏泊、など結構、よくこういうことはあったらしい。地名にも犾村というようにアイヌを示唆する地名があるようだ。
民俗コーナーではマタギの村田銃が展示されていた。マタギの山言葉はアイヌ語が混ざる。そんなことも紹介されていた。
かねて見たかったおしらさま、庚申、ボノ神さんなど民間信仰の実際を展示するコーナーがあり感激した。柳田國男の遠野物語にはおしらさまの由来なども出てくるが、東北の各地にこのような進行が根付いていることに驚きを感じるとともに、人々の日々の生活の息遣いを感じた。
文明を享楽的に受け入れている我々だが、本質的に不安なく満ち足りているのか。こういった信仰や伝統を失って不安がっていないか、考えさせられた。
いろいろ考えさせられて郷土館を出た。いけない、アスパムで津軽三味線の実演が始まる!私は走った。
アスパムは青森の
A
の形をした物産館兼イベントホール兼レストランである。始まる
10
分ほど前に到着、席に着いた。
数十人の観光客を前に三味線が始まる。明るい祭りの唄も人々の情念を表現した唄もある。弦と撥が合わさり、胴を叩く音が腹に伝わる。そして感じる。ああ、これは青森に生きる人々の誇りと生きているということの宣言なのだと。中央より「みちのく」と揶揄されながら、ひっそりと、しかし力強く生きてきたその証の音なのだと思った。
青森に人々は生きていた。それも中央よりはるかにたくましく、はるかに人間らしく。このような「地域」が日本中にある。そのことに改めて感動した。
さあ、これで長らくの旅はおしまい。皆さん、お付き合いありがとうございました。
[2回]
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2010
12,06
15:41
青森紀行7
CATEGORY[未選択]
さて行った限りは戻らねばならない。これがたいへんだった。すでに日が傾きかける時刻になりつつある。
自転車を漕ぐ途中でブックオフを見つけた。あることが気になって入る。文庫本の太宰治を探す。あった、やはり…「津軽」が一番多かった。さすが青森。せっかくなので「ヴィヨンの妻」を買う。
200
円。
次の行き先を迷う。実は郷土館にも行きたいし、棟方志功記念館にも行きたかった。明日はねぶたの里…と思っていたので迷う。いろいろ考えて次の日はのんびり郷土館に出かけることとし、棟方志功記念館へ向かった。
遠かったが
4
時前には着いた。校倉造りの展示館は思っていたより小さい。観光客はまばらだった。
中身はすばらしい。うす暗い記念館の中に作品が照らされ、それが晩秋のイメージと重なり幽玄の美しさがある。県立美術館よりはるかに訴える力のある作品が並ぶ。僕の好きな「宇宙頌」「釈迦十大弟子」など。インパクト大アリ。すごい、来てよかった。「女人観世音」「天網の柵」なども素晴らしい。入館者も少なくゆったりと見られるのは魅力的である。
入館してすぐのところに棟方志功のビデオがエンドレスで流されているコーナーがある。ビデオは祭り囃子を流す。一瞬、展示室に誰もいない時があった。誰もいない展示室で遠くに津軽三味線を聴きながら、ただ作品を見る。棟方志功の作品は私に問いかけてくる。お前はどのように生きていくのか、生きたいのか。お前にとって祈りとは何なのか。そして空間が揺らぐ…
人の声がして我に帰る。得難い時間だった。やはり棟方志功の作品は好きだ。純粋に作品が造られている気がする。誰にでも気軽に語りかけてくる。
ここで図録を買った。めちゃ重かったが満足だ。
青森駅へ。本当は県立郷土館にも足をのばしたかったが、もう遅い。今日は諦めよう。それより本日の泊まり、浅虫温泉へ早く辿り着き、酒でも飲もう。私はワクワクして奥入瀬ビールという地ビールと缶の地酒を買った。
浅虫温泉は阿房列車にも太宰治の津軽にも登場するが、あまり良い紹介のされ方はしていない。「津軽」に至っては
自分の故郷の温泉であるから、思い切って悪口を言うのであるが、田舎のくせに、どこか、すれているような、妙な不安が感ぜられてならない。
他、ひどい書かれようである。というわけで若干不安だったのだが、鄙びた温泉街、というのも男の一人旅っぽい感じがして、かえって泊まってみる興が起こったのである。
宿は小さいところを選んだ。あまり大きな旅館だとそれだけで幾分、興ざめである。
1
日
4
組しか泊まれないという家族経営の、いわば民宿のような所。古い民家風の建物で落ち着きがあった。川のたもとにあって、中ではせせらぎが聞こえた。
その日の宿泊客は私だけ。宿の人は他の宿の温泉や津軽三味線ショーを勧めてくれたが、なにせ日中の自転車こぎでヘトヘトだったので遠慮した。
風呂は小さな檜風呂。匂いがいい。独り占めなのもいい。小さいが満足。のぼせるまで入った。
そして食事。すごい。青森が出てきた。思いだせるものでは、刺身、ナマコ、味噌焼き、ホタテ、その他その他。お銚子が進んだ。先ほど買った奥入瀬ビールも飲む。私は味の評価が出来ないのだが、何を食っても、何を飲んでもなかなか旨かった。
しばらく部屋で本を読んだりしていたが、退屈してきたので、バーで飲む。バーといっても1階の食堂の脇にある休憩所だが、雰囲気はなかなかよい。ウイスキーを飲んだ。さきほど買った「ヴィヨンの妻」を読んだ。
酔っ払ったところで就寝。疲れていたので、すぐに眠ってしまった。
翌朝は7時に起床。前日の二日酔いもなく清々しい朝。朝食に案内された部屋は古木を生かした梁からステンドグラスがかかる和洋折衷だった。朝ごはんは適度な分量で地元の食材を使った和食。少し塩分が多めで酒の毒抜きには丁度よかった。
残念ながら本数の少ない青森行きのローカル線に乗ろうと思うと、もう一度温泉に入る余裕はなかった。しかし宿の人の
「いってらっしゃい。」
に送られて元気に出発。浅虫もいいものだ、と思った。太宰や百閒先生に教えてやりたい。(次回たぶん最終回)
[3回]
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2010
12,03
13:04
青森紀行6
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さて三内丸山へ。何度も書くが、自転車なので遠いと嫌だなあ、と思っていたのだが隣だった。まずはほっとする。
入り口は近代的で一見、遺跡とは思えない造り。しかしゲートを越えると広大な縄文遺跡が広がっていた。
読者に注意。この遺跡、個人で探索しようとしてもよく理解できない。頻繁にボランティアガイドがツアーを組んでいるので、面倒でもそれにくっついて行った方がよい。確か1時間に1回くらいはガイドしているのではないか。無料である。
遺跡にはまるでチセのような堅穴住居や祭祀か集会に使ったと考えられる大型住居が再現されている。住居は木に穴をあけ組み合わせて造る複雑なものだったらしい。櫓はうちころび工法で造られ、数度の傾きが特徴だという。
三内丸山からはいわゆる土偶も多数出土している。板状土偶というもので、平たい十字架に細工したような土偶。出土する土偶は皆女性だそうだ。女性は巫女的な役割が大きかったのかもしれない。
土器は華やかだ。縄文中期の頃は非常に華やか。いわゆる縄文だけでなく様々な模様があって楽しい。どことなくアイヌ文様に似ていた。漆塗りの土器もあって驚きだった。そんなときから漆を工芸に利用していたなんて。この地に思ったより大きな文明が花咲いていたようだ。
三内丸山ではいくつかの道が再現されていたが、これも復元の道らしい。この道はいずれもその周囲に埋葬した跡があるという。埋葬は屈葬も多いが、進展葬もあるらしい。それが数百メートル続く。環状列石もあって、これらも祭礼や葬儀と関係していると推測されている。
道具類はまことに興味深い。縄文ポシェットなる綾織りもあった。この技術、今に至るまで脈々と受け継がれていると思うと、古代の技術の高さに驚きを隠せなかった。
根本的な話だが、ガイドの話では三内丸山遺跡の最盛期、青森はもっと暖かかったらしい。雪も少なかった(あるいはなかった)。したがってこのような大規模集落が誕生したという背景があるそうな。なるほど。
失敗した土器も展示されていた。これを作った人はまさか
2000
年後に失敗作が展示されると思わなかっただろう。残念!
興味を持ってガイドの話を聞くのは人生の晩年の方々ばかりで、修学旅行生と思しき一行は、所在無げにガイドに付いてぞろぞろと歩いていた。ガイドは
「いいですか、これだけは覚えて帰ってください。三内丸山は広い、大きい…」
選挙か。いかにも日本らしい光景。面白く感じた。
三内丸山遺跡は展示も工夫され面白かった。博物館は写真撮影が許可されており、自由な雰囲気もあった。しかし地元民のお祭りをしていたが、静かな遺跡を楽しみたいのに、地元中学生が歌って踊って、しかも誰も見ていなかったのはいただけない。イベントは中止してもらいたい。
三内丸山はいかにも広く、そして縄文の文化を伝える絶好の場である。おしてその文化は北方のアイヌ文化に近く、奥州のいわゆる「まつろわぬ人々」の祖先となったものである。赤坂憲雄が言うように北からの視点で日本の歴史を捉えなおすことは重要だ。彼は「東北学」の中で芭蕉的なものを排除せよ、と唱える。中央から一段高い視点から周辺を見下すのはもうやめた方がよい。三内丸山からいま我々が置かれた文化的観念を根底から書きかえる作業が始まるかもしれない。そんな可能性を彼の地で感じた。 (飽きたかもしれないが、続く)
[3回]
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2010
12,02
13:07
青森紀行5
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ここから三内丸山遺跡へ向かう。途中でこの計画が勇蛮であったことに気づく。坂道だしめちゃくちゃたいへんだったのだ。明らかにそれと分かる観光タクシーがひいひい言いながら橋を越え坂を上る私の自転車を追い越していく。私も当初イメージしていた「のんびりと田園を行く自転車」との相違を噛みしめながらも、このゆったり感がいいのさ、と負け惜しみをしつつ必死にペダルを漕いだ。
三内丸山の手前が青森県立美術館だった。白亜の瀟洒な建物。腹が減ったこともあって、まずはこちらにお邪魔することにした。
まずはミュージアムショップを覗く。私は博物館のミュージアムショップが大好きだ。こんなの誰が買うんだ?というようなへんな物品を見ているだけで楽しい。しかも土地のものや展示物と関係なく脈略もなく置かれているお土産を見ると思わず笑ってしまう。へんな美術館の楽しみ方だが。
ここは特記すべき所見なし。割かし普通のお土産が整然と並べらていた。まあ、ショップの意気込みは感じた。比較的新しい美術館なのでオシャレにまとめている印象。それはそれでいいけれど。笑いが欲しかった。
続いてランチを摂りに美術館に併設されたカフェ「四匹の猫」へ。少し涼しくて汗だくになったからだが冷めていく。木目が鮮やかで清涼感を感じる。展示にあった茄子と初雪茸のトマトソース、そして青森と言えば…シードルを注文。男の一人旅は昼間の酒にあり。自転車だし。自由なものだ。
太宰治の「津軽」には厚い人情を持った津軽の人々の姿が描かれているが、私が一番印象に残ったのは戦前の「リンゴ酒」であった。いろいろ調べてみるといわゆるシードルではなくて、発酵させる産物が減った時期に苦肉の策でリンゴを使用したというものらしい。しかし、その「リンゴ酒」という響きが私はたいへん気にいって、なんとか飲んでみることはできないかと思っていた。しかしまあ、今ならシードルか。ここで飲む。
要するにシャンパンみたいなもんだが、たいへんおいしかった。パスタはいまいちだった。少し値段が高い。
県立美術館へ。新鮮。白亜の巨大な建造物で不思議な展示物が多い。コンクリート壁が倒れていたり、浮いていたり。特別展のため人出も多く盛況だった。
特別展はスタジオジブリ・レイアウト展だった。映画やテレビアニメごとに原画やレイアウトが展示されている。いつか見た場面ばかりで、そのときの興奮が思い出された。たいへん精密に作られているし、またスピード感もスケールも大きくてジブリの偉大さが分かる展示だった。
宮崎監督はマイノリティーへの視点が優しいと感じる。私がジブリの最高傑作と思うのはやはり「もののけ姫」だが、その中のシシ神様などまつろわぬ民の魂のような存在だ。神殺し(侵略や新しい文化への帰依)の結果得られる文明に対する批判はナウシカ以来一貫しているように思う。したがって東北、こと三内丸山の隣でジブリ展を開くのは因縁を感じさせられた。
ところでこの美術館、常設展が素晴らしい。あまり統一感がないのが残念だけれど、各展示がそれぞれの主張をしている。
青森と言えば棟方志功だと思うが、この美術館にも棟方志功展示室があった。心で花を狩る「華狩領」(のちに志功の本を読むと、アイヌの花矢がモデルらしい)や季節を的確に表現した「大和し美し」などが印象に残ったが、全体としては丁寧さが目立って棟方志功らしい力強さに欠けたのは残念だった。その他は寺山修二のナンセンス、成田亨の怪獣、ウルトラマンなど郷土作家の展示や一番でっかい展示室にシャガールの「アレコ」などがあった。「アレコ」はファンタスティックなその絵に心打たれていたら案内のおばさんが
「
10
億円ですよ。」
と言って興ざめだった。まあ、そうでしょうねえ。
ある展示室でメゾチント作家、長谷川潔の「時、静物画」に出会った。これは京都国立近代美術館で見て以来、好きな作品で旧友にばったりと出くわしたような懐かしさと嬉しさを感じた。青森でもとても素敵な絵だった。(まだ続く)
[3回]
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2010
12,01
12:47
青森紀行4
CATEGORY[未選択]
まずは駅近くの八甲田丸へ。今は博物館として利用されているが、
1988
年まで
23
年も青函連絡船として利用された名船である。
5382
トンという巨船で、内部は様々な展示がされていた。連絡船記念館、シアター、展望台と様々なコーナーが設けられ、それなりに楽しめる。青函連絡船の歴史をたどるコーナーでは洞爺丸が紹介されていた。洞爺丸の事故はうっすらと記憶していたが、あのタイタニック号に次ぐ死傷者数を出した惨事とまでは知らなかった。短い津軽海峡に秘められた歴史は近代に至ってもドラマチックである。そういえば「点と線」も連絡船を使ったトリックだったな。
ところで、ここではじめて青森人と会話した。なまっとるがや!日本広し。向こうはこちらに分かるように丁寧にしゃべってくれるのだが、それがなまっていてびっくり。ブラキストン線あなどれず。
次に青森市森林博物館へ。昔は営林署だったらしい。白亜に緑のかわいい屋根で全体的に明治っぽい建物。風雪に耐える青森の自然がわかりやすく展示されている。
一番のおすすめはスキー。八甲田山縦走スキーなんてあるらしい。以前は死の彷徨したところも今はそんな感じ。人間って強いなあ。
八甲田山と言えば映画の舞台になった部屋もあった。所長室だったらしいが、なかなか趣のある重厚な部屋。所長の椅子に腰かけてぐるりとあたりを見回してみた。いい気分。ひとり悦に入る。
そしてみちのく北方漁船博物館へ。ここは圧巻。やたらでっかい倉庫に、やたらたくさんの漁船が展示してある。平たく言うとただそれだけ。すごい、こんな展示、誰がやろうって言い始めたんだろう。
まずアイヌのチプがあった。いわゆる丸木舟。ニポポが乗船していた。これはこれでとてもいい船。漁労にはこれで充分であったろう。そして和船もある。これは構造船。その間のような「ムダマハギ」という準構造舟が青森でよく使用されたらしい。面白い。そんなところまで民俗学的な連続性がある。誠に正直な土地だ。
こんな展示と全く関係なくイタリアのゴンドラやらタイの船上生活船やらいろいろあった。全く関係ない。どうして…いや、これを展示した人に興味がある。
舟が
2
重、
3
重になって展示してあるのはすでに展示とは呼べない。ほんとうに倉庫と化していた。展示用の案内板は心なし値札に見えた。
烏賊釣り舟もあったが烏賊の人形(というのか?)が吊るしてあるのは笑った。どうせならするめでも吊るしたらよかったのに。釣ってから時間が経ちすぎましたなんて。
海に展示してある中国のジャンク船に乗船。おそらく私の一生でジャンク船に乗るのはこれが最初で最後だろう。この感動はいまいち誰にも伝わらない。貴重な体験なのに。惜しい。
博物館の周りにはたくさんの釣り人が糸を垂らしていた。青森の太公望は何を釣っているのか、それともぼんやりしたいのか。牧歌的な風景だ。この異形というかへんな博物館に奇妙に調和していておかしい。
それにしても三施設とも入場者がほとんど居ない。学習施設は観光地になりにくいかもしれないが経営は大丈夫だろうか。私が心配しても仕方ないのだけども。
[0回]
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2010
11,29
12:09
青森紀行3
CATEGORY[未選択]
翌日は放送で目覚めた。
5
時
10
分頃か。すでに乗客は降車の準備をもぞもぞと始めている。私もそれに倣った。
5
時
39
分。定刻通り青森到着。「はまなす」ありがとう。また乗るからね。記念撮影してお別れ。あたりは仄明るくなってきたころ。接続の弘前行き列車の写真を撮ったりした。それにしてもやることがない。そして寒い。
事前に周到にガイドブックを熟読し、駅前の
AUGA
という施設の地下にある市場が開いていることを把握していたので、そちらに向かうことにした。街を歩く人影もない。しかし、青森に着いたことで私はひとりで興奮していた。頭の中ではドリカムがリピートしていた。
AUGA
に到着。市場もまだ準備中といった様子だった。次々に運ばれる蟹やらホタテやらの海産物を眺める。あと何時間かすると誰かの胃の中におさまるのだろう、なんとなく切ない。
何件か食道があったが、そのうちの一軒が開店していた。そこに入る。目の前に様々な魚介類が並べられている。他人が食べる魚は可哀そうだが、自分が食べる魚はうまそうだ。ウニやイクラを頼もうかとも思ったが、早朝なので鰊定食を頼んだ。さすがにうまい。脂がのってとてもいい。烏賊のぬたもこんなに柔らかいのかと感動するほど。よく味が染みわたって口の中に豊饒な青森が広がっていく。
朝から満腹になって少し残した。
それからまたしてもやることがなくなってしまった。街をぶらぶら歩くと国道に出た。そこに「まちなかおんせん」という看板があった。センターホテルというホテルに併設された温泉らしい。この時間でも営業している。そういえば昨日はシャワーもしていない。いい暇つぶしと思って入った。
中はこざっぱりと明るい感じで、温泉もたいへんよかった。
7
時前と言うのに、宿泊客も多いと思うが、結構な人出だった。汗を流して風呂から上がり、隣接する休憩所でテレビを見たり、新聞を読んだりして休憩。いつしか眠ってしまった。
起きると
9
時前。これはいけない、せっかく来たのに。観光をせねば!
池澤夏樹のエッセイで私がしてきたのは旅ではない、観光だというのがあったようななかったような。しかしそりゃそうだ、と思う。人生すべからく旅であるように例えるのは「道」好きな(茶道とか剣道とか)日本人の悪い癖だろう。旅行なんて物見遊山が基本。興味のおもむくままあっちへキョロキョロ、こっちへキョロキョロする旅
=
観光ほど楽しいものはないのである。
というわけで観光のスタート。レンタサイクルが一日
300
円という安さで借りられるので、それを利用する。かさばる荷物はコインロッカーへ入れ、さあ、出発だ。
(続く)
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2010
11,26
12:22
青森紀行2
CATEGORY[未選択]
札幌駅に着く。意外に寒い。温度計を見ると
8
度だった。十月はもう冬の入口だ。温かい飲みのもが欲しくてキオスクに行く。もちろん簡易型の熱燗が欲しかったのだが、残念ながら置いていなかった。仕方ないので割ってある焼酎(
15
度くらい)を2合買った。つまみには豆を買った。
はまなすはすでに到着して私を待ってくれていた(ように感じた)。雄姿をデジカメに収める。まあ阿房列車だ。百鬼園先生には及ばぬが半分目的があって半分目的がないようなものなので気ままに旅しようと思う、そういう決意をする。
車内は静かで暖かい。七割くらい人入りか。大人が多くて、部活の遠征とおぼしき集団以外、子供はいない。
最初に車内放送が入って、これ以降朝まで放送は入りませんと宣言していた。まあそれで困ることはない。日本の列車はいろいろと放送が入りすぎてうるさくて困るから私には丁度いい。タイやロシアで列車に乗った時はそこがどこなのか分からなくて困ったが、今回はそんなことはないだろう。青森は終点だし。
荷物をまとめてシーツを敷き、寝床を作る。そして酒を空ける。いい気持ちだ。すべてを忘れて旅に出る。すべてに感謝。
私はこの旅行でとにかく本がたくさん読みたかった。浅田次郎が何かのエッセイで私は書くのと読むのとどちらか選べと言われたら読む方を選ぶ、というようなことを書いていたと思うが、その通りだと思う。あのストーリーテラーの浅田次郎だってそう言うのだ、読書は止められないのだ。しかし、現代人を演じていると静かに読書する時間と言うのはありそうでなかなかない。こんな旅行のひとときは私にとって絶好の読書の機会なのである。ちなみに先述の浅田次郎も仕事を早く終わらせたら温泉に独りで投宿して、酒を飲みながら読書するという。どなたも同じである。
列車の中で私は「道草」を紐解いた。恥ずかしながら夏目漱石をあまり読んだことがなくて、「こころ」を読んだらたいへんよかったので買って来たのだ。列車は新札幌を過ぎ、闇の中を走る。酒はすでに
2
本目(実は発車前に一合飲んでしまった)。しばらく読み進むと列車が揺れているのか、自分が揺れているのか分からなくなってきた。ふだん
2
合くらいで酔うことはないのに、電車の揺れに合わせてまわるのが早まったか。そのとき急にがたんと列車が揺れて
4
分の
1
くらい残っていた焼酎をシーツにこぼしてしまった。無念。シーツは酒臭い。仕方ないのでシーツを丸めて(
JR
さんごめんなさい)、歯磨きして不貞寝した。
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時頃だった。(続く)
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