北の大地で研修中 ニポラー日記
家庭医・総合医をめざして北海道の各地でニポラー(ニポポ研修医ニポポ研修OB)が活躍中です。 そのニポラー(研修医とOB医師)と指導医の日記です。楽しんでお読みください 。
カレンダー
05
2026/06
07
S
M
T
W
T
F
S
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
アーカイブ
2012 年 08 月 ( 1 )
2011 年 09 月 ( 1 )
2011 年 07 月 ( 1 )
2011 年 06 月 ( 2 )
2011 年 05 月 ( 2 )
リンク
管理画面
新しい記事を書く
カウンター
読者
アクセス解析
バーコード
RSS
RSS 0.91
RSS 1.0
RSS 2.0
2026
06,11
00:22
[PR]
CATEGORY[]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
2010
12,01
12:47
青森紀行4
CATEGORY[未選択]
まずは駅近くの八甲田丸へ。今は博物館として利用されているが、
1988
年まで
23
年も青函連絡船として利用された名船である。
5382
トンという巨船で、内部は様々な展示がされていた。連絡船記念館、シアター、展望台と様々なコーナーが設けられ、それなりに楽しめる。青函連絡船の歴史をたどるコーナーでは洞爺丸が紹介されていた。洞爺丸の事故はうっすらと記憶していたが、あのタイタニック号に次ぐ死傷者数を出した惨事とまでは知らなかった。短い津軽海峡に秘められた歴史は近代に至ってもドラマチックである。そういえば「点と線」も連絡船を使ったトリックだったな。
ところで、ここではじめて青森人と会話した。なまっとるがや!日本広し。向こうはこちらに分かるように丁寧にしゃべってくれるのだが、それがなまっていてびっくり。ブラキストン線あなどれず。
次に青森市森林博物館へ。昔は営林署だったらしい。白亜に緑のかわいい屋根で全体的に明治っぽい建物。風雪に耐える青森の自然がわかりやすく展示されている。
一番のおすすめはスキー。八甲田山縦走スキーなんてあるらしい。以前は死の彷徨したところも今はそんな感じ。人間って強いなあ。
八甲田山と言えば映画の舞台になった部屋もあった。所長室だったらしいが、なかなか趣のある重厚な部屋。所長の椅子に腰かけてぐるりとあたりを見回してみた。いい気分。ひとり悦に入る。
そしてみちのく北方漁船博物館へ。ここは圧巻。やたらでっかい倉庫に、やたらたくさんの漁船が展示してある。平たく言うとただそれだけ。すごい、こんな展示、誰がやろうって言い始めたんだろう。
まずアイヌのチプがあった。いわゆる丸木舟。ニポポが乗船していた。これはこれでとてもいい船。漁労にはこれで充分であったろう。そして和船もある。これは構造船。その間のような「ムダマハギ」という準構造舟が青森でよく使用されたらしい。面白い。そんなところまで民俗学的な連続性がある。誠に正直な土地だ。
こんな展示と全く関係なくイタリアのゴンドラやらタイの船上生活船やらいろいろあった。全く関係ない。どうして…いや、これを展示した人に興味がある。
舟が
2
重、
3
重になって展示してあるのはすでに展示とは呼べない。ほんとうに倉庫と化していた。展示用の案内板は心なし値札に見えた。
烏賊釣り舟もあったが烏賊の人形(というのか?)が吊るしてあるのは笑った。どうせならするめでも吊るしたらよかったのに。釣ってから時間が経ちすぎましたなんて。
海に展示してある中国のジャンク船に乗船。おそらく私の一生でジャンク船に乗るのはこれが最初で最後だろう。この感動はいまいち誰にも伝わらない。貴重な体験なのに。惜しい。
博物館の周りにはたくさんの釣り人が糸を垂らしていた。青森の太公望は何を釣っているのか、それともぼんやりしたいのか。牧歌的な風景だ。この異形というかへんな博物館に奇妙に調和していておかしい。
それにしても三施設とも入場者がほとんど居ない。学習施設は観光地になりにくいかもしれないが経営は大丈夫だろうか。私が心配しても仕方ないのだけども。
[0回]
PR
コメント[0]
TB[]
2010
11,29
12:09
青森紀行3
CATEGORY[未選択]
翌日は放送で目覚めた。
5
時
10
分頃か。すでに乗客は降車の準備をもぞもぞと始めている。私もそれに倣った。
5
時
39
分。定刻通り青森到着。「はまなす」ありがとう。また乗るからね。記念撮影してお別れ。あたりは仄明るくなってきたころ。接続の弘前行き列車の写真を撮ったりした。それにしてもやることがない。そして寒い。
事前に周到にガイドブックを熟読し、駅前の
AUGA
という施設の地下にある市場が開いていることを把握していたので、そちらに向かうことにした。街を歩く人影もない。しかし、青森に着いたことで私はひとりで興奮していた。頭の中ではドリカムがリピートしていた。
AUGA
に到着。市場もまだ準備中といった様子だった。次々に運ばれる蟹やらホタテやらの海産物を眺める。あと何時間かすると誰かの胃の中におさまるのだろう、なんとなく切ない。
何件か食道があったが、そのうちの一軒が開店していた。そこに入る。目の前に様々な魚介類が並べられている。他人が食べる魚は可哀そうだが、自分が食べる魚はうまそうだ。ウニやイクラを頼もうかとも思ったが、早朝なので鰊定食を頼んだ。さすがにうまい。脂がのってとてもいい。烏賊のぬたもこんなに柔らかいのかと感動するほど。よく味が染みわたって口の中に豊饒な青森が広がっていく。
朝から満腹になって少し残した。
それからまたしてもやることがなくなってしまった。街をぶらぶら歩くと国道に出た。そこに「まちなかおんせん」という看板があった。センターホテルというホテルに併設された温泉らしい。この時間でも営業している。そういえば昨日はシャワーもしていない。いい暇つぶしと思って入った。
中はこざっぱりと明るい感じで、温泉もたいへんよかった。
7
時前と言うのに、宿泊客も多いと思うが、結構な人出だった。汗を流して風呂から上がり、隣接する休憩所でテレビを見たり、新聞を読んだりして休憩。いつしか眠ってしまった。
起きると
9
時前。これはいけない、せっかく来たのに。観光をせねば!
池澤夏樹のエッセイで私がしてきたのは旅ではない、観光だというのがあったようななかったような。しかしそりゃそうだ、と思う。人生すべからく旅であるように例えるのは「道」好きな(茶道とか剣道とか)日本人の悪い癖だろう。旅行なんて物見遊山が基本。興味のおもむくままあっちへキョロキョロ、こっちへキョロキョロする旅
=
観光ほど楽しいものはないのである。
というわけで観光のスタート。レンタサイクルが一日
300
円という安さで借りられるので、それを利用する。かさばる荷物はコインロッカーへ入れ、さあ、出発だ。
(続く)
[0回]
コメント[0]
TB[]
2010
11,26
12:22
青森紀行2
CATEGORY[未選択]
札幌駅に着く。意外に寒い。温度計を見ると
8
度だった。十月はもう冬の入口だ。温かい飲みのもが欲しくてキオスクに行く。もちろん簡易型の熱燗が欲しかったのだが、残念ながら置いていなかった。仕方ないので割ってある焼酎(
15
度くらい)を2合買った。つまみには豆を買った。
はまなすはすでに到着して私を待ってくれていた(ように感じた)。雄姿をデジカメに収める。まあ阿房列車だ。百鬼園先生には及ばぬが半分目的があって半分目的がないようなものなので気ままに旅しようと思う、そういう決意をする。
車内は静かで暖かい。七割くらい人入りか。大人が多くて、部活の遠征とおぼしき集団以外、子供はいない。
最初に車内放送が入って、これ以降朝まで放送は入りませんと宣言していた。まあそれで困ることはない。日本の列車はいろいろと放送が入りすぎてうるさくて困るから私には丁度いい。タイやロシアで列車に乗った時はそこがどこなのか分からなくて困ったが、今回はそんなことはないだろう。青森は終点だし。
荷物をまとめてシーツを敷き、寝床を作る。そして酒を空ける。いい気持ちだ。すべてを忘れて旅に出る。すべてに感謝。
私はこの旅行でとにかく本がたくさん読みたかった。浅田次郎が何かのエッセイで私は書くのと読むのとどちらか選べと言われたら読む方を選ぶ、というようなことを書いていたと思うが、その通りだと思う。あのストーリーテラーの浅田次郎だってそう言うのだ、読書は止められないのだ。しかし、現代人を演じていると静かに読書する時間と言うのはありそうでなかなかない。こんな旅行のひとときは私にとって絶好の読書の機会なのである。ちなみに先述の浅田次郎も仕事を早く終わらせたら温泉に独りで投宿して、酒を飲みながら読書するという。どなたも同じである。
列車の中で私は「道草」を紐解いた。恥ずかしながら夏目漱石をあまり読んだことがなくて、「こころ」を読んだらたいへんよかったので買って来たのだ。列車は新札幌を過ぎ、闇の中を走る。酒はすでに
2
本目(実は発車前に一合飲んでしまった)。しばらく読み進むと列車が揺れているのか、自分が揺れているのか分からなくなってきた。ふだん
2
合くらいで酔うことはないのに、電車の揺れに合わせてまわるのが早まったか。そのとき急にがたんと列車が揺れて
4
分の
1
くらい残っていた焼酎をシーツにこぼしてしまった。無念。シーツは酒臭い。仕方ないのでシーツを丸めて(
JR
さんごめんなさい)、歯磨きして不貞寝した。
23
時頃だった。(続く)
[2回]
コメント[0]
TB[]
2010
11,24
21:04
青森紀行1
CATEGORY[未選択]
あまりニポポとは関連がないが、研修医の休日の過ごし方の一例(こじつけだな)ということで青森紀行を記したい。
10
月に青森旅行をした。わずか
1
泊
3
日だったが感動的な旅行だった。少しでも伝わらないかと思いながら、その時々を思い出し思い出し書いてみた。何回かに分けて掲載する。ブログなんで自由に行う予定。では、はじまりはじまり。
遠足は家を出てからおうちに帰るまでが遠足だと思うが、一人旅はいつからいつまでが旅なのだろうか。なんて考えたりして。とにかくこの青森旅行をとても楽しみにしていたのは間違いない。
1
か月も前から計画を立て、図書館からガイドブックを借りて読み込み、インターネットで宿を調べたりした。そういう意味では実際に旅行に行かずとも目的の何割かは達成できていたように思う。安いものである。
日本各地に様々な名所があると思うが、私は基本的に西の人なので、東海や関西を中心に西日本を訪れたことはある。しかし、北海道と出張で出かける東京以外は関東も東北も皆無に等しい。いわんや青森おや。しかし私個人は中央より辺境と言われる土地や人に限りない共感を抱く性質なので、陸奥と都より蔑称されながら北の土地にたくましく生きる青森県にはかねがね切に訪れてみたいと願っていたのである。
しかし遠かった。関西に住んでいたころは下手に青森へ行くより海外旅行したほうが安いくらいだし、自然、足が寄らない結果になった。北海道に来てからは現実の生活を成立させるために忙しく青森に行くどころではなかった。やっとここ最近、余裕が出て来て、念願かなって青森へ行く機会を手にしたのである。読者諸君、文章を読んでこの興奮が伝わるであろうか。
というわけで北海道某駅深夜。札幌発急行はまなすに乗るために私は防寒具を着込んでいざ!この「はまなす号」に乗ることも旅の目的のひとつであった。寝台列車に乗ったことがなかったのだ。関西に住んでいるとそんな機会は露ともなくて…かつ、この「はまなす」、新幹線が開通すれば廃止になると言うではないか。これは乗らねばなるまい…。じっくりと機会を伺い、今回、満を持して「はまなす」の予約をしたのである。
しかし…あらかじめ
1
か月も前に買った青森
R
切符(札幌と青森の往復切符;特急指定席、はまなす
B
寝台が予約できる)が改札をなぜか跳ね返されるのである。ピンコーン、ピンコーン、まるでお前は来るな、というような嫌な警告音。不思議に思って切符をよく見て愕然とした。翌日の切符になってる…
私は金曜の夜
22
時に札幌を出て日曜の午後に帰ろうと思っていたのだ。それなのに帰りは正しいものの、行きは土曜の予約になっている!
しまった、やってしまった。ここ
1
カ月が走馬灯のように脳裏をよぎる。頭の中では悲痛な音楽が鳴っている。あわててみどりの窓口に駆け込み、
「まままま間違ったんです。今日今日今日、はまなす乗りたいの。」
と叫んだ。駅員はめんどくさそうにちらりと私を見てから、おもむろに画面に集中した。なにやらポンポンと数回キーを叩くと
「ああ、空いてるね。
B
寝台。でも上段だよ。」
と言った。上段でもなんでもよかった。冗談じゃない。ここまで来て旅が諦められるかってんだ。
実は下段ならば窓から外が見えるので人気なのである。しかし、そんなことを言っている暇はないので即決で
「それでお願いします。」
と頼んだ。なにやらのっけから先が思いやられる旅になってしまった。 (続く)
[4回]
コメント[0]
TB[]
2010
11,15
19:19
「医者も患者も認知していない総合内科」に対して
CATEGORY[未選択]
>総合内科が「ブーム」との意見に一票。複雑な心境は察するところ多し。
総合内科のニーズがあるのかどうかは実はよくわからない。あるところにはあるし、ないところにはないのかもしれない。ニーズがある地域の現場であくせく働いている人が「ニーズがある」といえば説得力があるが、都会で診療している自称総合内科医に「ニーズがある」といわれても私はにわかには信じられない。
○段落ごとに意見を述べたいと思います。まずはコメントありがとうございます。つらつらと日々のことを書いて、誰かが読んでくれていると思うとたいへんありがたいです。議論しましょう。何を持って「ニーズ」かは判断が分かれるでしょう。都会であろうと田舎であろうと変りはありません。大きな病院には教育という使命もあります。田舎で医療する人はボランティア精神に溢れ善、誤嚥性肺炎ばかり見る都会の総合内科は悪、という型にはまることはないかな、と思います。
>最近になって新たに総合内科のニーズが生まれてきたとはあまり思えない。これまでの医局システムの崩壊に伴い別のシステムが必要になっただけのことだとすればやはりブームにすぎないだろう。
○パラダイムシフトという言葉が医療の世界でもよく使われるようになりましたが、必ずしもパラダイムがシフトするほどの大きな事象が起こっているとは思えないことがあります。物事は連続性の中で変化しています。その関係性を無視して「シフト」のみを語ることはできません。したがって医局システムの崩壊のみを見るのではなく「時代の流れ」的な観点から考察することができるかもしれません。ある程度、総合内科は必然ではないかと考えます。
>総合内科の「総合」という言葉が、良くも悪くも解釈されている。専門医からも「一つ一つはろくにみれないのに、何を総合しているのか?」と訝られ、患者からは「総合だから、なんでも解決してくれるだろう」と期待される。
この症例の患者のように。
○要するにまだ誰も「総合内科」がなぜ総合内科なのか知らないのだと思います。認知度の問題です。パイオニアの宿命と諦めています。
>総合内科という名前が悪いのかもしれないが、言い得て妙のある呼び方を私は思いつかない。専門は何かに対する問いに「あなたを専門にする医者です」と、家庭医療を盲信(猛進?)する誰かが熱く語っていた。医者なら誰だって語らずとも同じ気持ちで診療しているのだから、こんな言い方をして得意になっていても仕方がない。患者には一定の安心感は与えるかもしれないが、それ以上のものではないし、専門医からすれば、ただの綺麗ごとにしか聞こえないだろう。
○今の家庭医療には思うところはあります。おっしゃる通り。しかしそれは総合内科に直結しないと思います。専門医制度も内科学会のようにきちんとした1階部分があって、2階部分が家庭医療ならいいのですがねえ。というわけでこれはまた別の話、です。
コメントありがとうございます。嬉しいです。今後ともよろしくお願いします。
[5回]
コメント[0]
TB[]
2010
11,13
21:30
強い総合内科医になる(決意)
CATEGORY[未選択]
中日が負けた。たまたま当直中であって延長
12
回までテレビで観戦していた。あのショック、屈辱は忘れられない。終了してからすぐに床に着いたのだが、午前
3
時くらいまで「あのときのあの采配が悪かったのではないか」「あのときにこうしていれば…」等々考えてしまって寝付けなかった。こんなチャンスは滅多になかったのに。ここまで頑張った選手、ベンチには頭が下がる思いで、今年は感謝したい気分だ。しかし、しかし…それでも…
翌日から北海道に本格的な冬が来た。
私は現在、総合内科に勤務している。総合内科が聞き慣れぬ名前かもしれない。しかし現在は北海道の政策として「総合内科医養成事業」が設定されるくらい、一種のブームである。
総合内科医が必要とされるのは時代の要請である側面が強い。すなわち、臨床研修が必修化され、また各個人の生活を尊重する時代の流れも相まって医局が弱体化した現在、各科専門医を集めることが出来なくなって各地の地域医療が崩壊しているわけで、それを内科疾患はある程度のレベルで全部診ることが出来る総合内科は各病院にとって内科診療の核となる可能性を秘めているわけで、その生産が急がれているのである。
ニポポはこの総合内科医や家庭医を目指すプログラムである。このようなプログラムも今や全国各地に何十とある。繰り返すがブームなのである。
理想的には総合内科医が
10
人くらいいて、各科専門医が
1
人ずつ居れば
良いと思う。各科専門医は今まで、地方に派遣されて、自分の専門でない(得意でない)分野を診るのがストレスだったわけである。そこに総合内科医が現れて、診ます、診ますと言えば専門医は助かる。ある程度診てもらえれば、自分の分野であっても助言するだけでいい。これも助かる。総合内科医が居れば、自分の真の仕事に集中できるし、総合内科医も専門家から勉強を教えてもらえるし、一石二鳥なのである。
とはいえ現実的には人々の理解が進んでいないし、なかなか多難である。「総合内科って何?」をもっと発信していく必要があることは痛感している。今回はそんな話。
Y
さんは
50
代の男性。ネフローゼ(おしっこにいっぱいタンパクがでる症候群;腎臓で何かが起こっていることが示唆される)精査で紹介された。種々の治療(総合内科医が出来る基礎的な治療)に反応せず、腎臓を調べて
IgA
腎症(という腎臓の病気の一種)であることがわかった。この
IgA
腎症も程度がいろいろあるわけだが、その中でも最も重い状態であることが分かった。統計では
5
年で
50
%くらいの人が透析になるという状態。ここまでわかるとちょっとしたさじ加減がその人の人生を決めてしまいかねない。ここで専門家に依頼ということになった。
「最初が肝心ですから。ここでしっかり治療してもらいましょうね。」
と申し上げる。そこで言われた言葉。
「俺、がっかりだよ。ここを信頼して、先生を信頼して検査なんかも頑張って受けて、いざというときにあっち行けってさ。総合内科だって言うから総合的に診てもらえるかと思ったのに。たいしたことないね。がっかりだ。」
…詰まる。しかしよくある。こういうこと。このことにめげちゃいけないんだ。いいんだ。患者さんがよくなれば。
しかし…残念な気もする。誰か意見ください。
[5回]
コメント[1]
TB[]
2010
11,04
17:57
家庭医専門医4
CATEGORY[家庭医関連]
CSA
が終ると弁当の時間。高そうな弁当が出た。受験料
5
万円もふんだくるのだから当然だが。
しかしこの昼休憩が短くて困った。長くてもやることがないのでいいのだけれど、
30
分くらいしかなかった。そして筆記試験の会場へ移動。なんだか説明を受けて試験。合格率
8
割とか言っていたが、資格試験なのに合格率があらかじめ設定されているというのはどういうことなのだろう。
筆記試験は
2
時間で
6
題だったと思う。ひたすら筆記で、マルチョイなどの選択問題はなし。内容は糖尿病性腎症の鑑別(意図不明)、なんだか止めたい人の医療面接の仕方(面接試験とほとんど内容同じ)、
EBM
、
LEARN
を問う問題、予防接種、その他(忘れた)。時間が足らないぞ、と脅かされたが別にそうでもない。余った。なぜかというとさっぱり分からなかったから。埋めるには埋めたが、出来たんだか出来てないんだかさっぱりよくわからない試験だった。
割合細かいことが聞かれた気がする。どうだからどう、とか理由まで全部答えさせられた。しかし、その範囲は狭く、おそらくこれから回を重ねるうちに対策しやすくなってくるだろう。試験問題の再現なんて誰かがその気になればすぐできるんじゃないか。そこまでして必要な資格かどうかは別物だけれども。答えが洗練されていくので、回を重ねるごとに受験者はかえって困難を感じるようになるだろう。
まあ、これから受験する方々はこれから出されるであろう講評を熟読する必要があるだろう。
ところでこの専門医なんか意味があるのだろうか。勉強したという証明ならば、学会がそのプログラムごとに認定をしているのだから、修了した時点で、専門医資格を無償で与えるべきではないか。そもそも落ちる受験者が出るようなら認定した学会が悪いということになる。
何を目指しているのかわからないことも多いが、取得できればいいとも思う複雑な秋。合格したかどうかは次回のお楽しみ。
[4回]
コメント[0]
TB[]
2010
10,29
18:55
地域の運動会
CATEGORY[未選択]
随分前の話だが、地域の運動会に参加する機会があった。別に地域医療とはなんの関係もないことだが報告したい。
地域の(というか田舎の)運動会はその部落のお祭りである、というようなことを沖縄の島のことを書いた文章で読んだことがあるが、なるほどその通りであった。さすがに沖縄のようにヤギを一頭つぶして・・・ということはないけれど、地域の大の大人が飲んで騒いでいてまことににぎやかであった。
朝は9時から万国旗ならぬ大漁旗はためく中(漁師町)、唐突に始まる。子供たちは全校あわせても
30
人に満たない。役員の方がずっと多くて先生方に並んであいさつを聞いている姿がなんだかおかしかった。
子供が走れば、地域のおじいちゃんおばあちゃんが一生懸命、声援する。鳴り物がないのが不思議なくらい、かけっこだの綱引きだの様々な種目に声援が飛んだ。
私は参加する気はなかったのだが、あれよあれよと連れられて数種目に参加した。なんだかペアになって競争する種目や綱引き、借り物競争などに出場。一応、役目を果たさせていただきました。出れば参加賞がもらえてちょっと嬉しい。ウェットティッシュなどだったが、以前は生ものもあったそうだ(いや、いまでもその日獲れたものを配っていた)。
あいにくの雨ですべてのプログラムを見ることはできなかったが、屋内でヨサコイも見た。ヨサコイは高知が発祥だがいまやあちこちにあると聞く。北海道でも札幌が有名だが、札幌だけでなくどこでも踊っている。いや、なかなかたいへんな迫力で見ていて元気をもらった。子供たちは元気に、とっても上手に踊っていて楽しそうだった。酔っ払った大人も踊っていた。
地域が一丸となるイベントがあるというのはたいへんいいことだ。運動会を通じて地域のコミュニケーションが図られている。カルチャーショックな部分も多いがこういう地域に育った子供は地域を大切にしながら、あるいは都会に出るにしても故郷を想いながら暮らしていくんだろうなと都会育ちの私は少しうらやましく思ったのでした。
[1回]
コメント[0]
TB[]
2010
10,24
10:09
女性と医療
CATEGORY[未選択]
秋晴れが続いている。北海道はそろそろ冬を迎える頃で、街路樹の葉の色は赤や黄色で賑やかである。通勤にはユニクロのフリースを使っている。車のタイヤも冬用に変えねばならない。冬眠準備に忙しい季節である。
少子化がときどき話題になる。曰く、「フランスでは合計特殊出生率が2を超えている」とか「日本でも女性が働きやすい環境を」とか「古い因習にとらわれず社会参画を」など。そして「育メン」がもてはやされたりする。
僕は思うのだが、晩婚化は社会の流れだから止められないのは自明ではないか。そのもっとも大きな原因は女性を含めた社会全体の高学歴化、高教養化だ。大学を含める高等教育を受けるとするとそれなりの年齢までは勉強しなければならない。教育を受ければ、授かった知識や技術を利用してみたいと思うのは当然である。そして社会が晩婚化する、すると子供が少なくなる。
また高等教育には金がかかる。子供手当は古い世代にだけばらまきをするよりなんぼか正しい政策だと思うが、それだけで全部済むほど世の中は甘くない。一人当たりにかかる金額が上昇すれば、子供を増やせないという事情もある。
そういった社会全体のひずみを女性にだけ押し付けるのは誤りだ。管理職にさえなかなかなれない社会構造の中で女性はよく頑張っていると思う。上から目線でそう思うのではなくて、男性として応援したいと思う。
そして医療。医療の世界は女性になかなか辛いのではないかと思う。古くから在るのは看護師さんの世界だが、これも子育てと両立はたいへんそうだ。シングルマザーで頑張っている人も散見するが、よく勤まるなあと感心する。医者も同じ。医者だと大勢の中のひとりになりにくい。無勢の中のひとりなので、休みにくいし、医者はこうあるべきというイメージが患者だけでなく医療者の中にもあるので、それを個人で打ち破るのは至難と思う。
日本は新没落国と思う。これからは医療の世界ならずとも傑出したリーダーは出ないだろうし、また不要と思う。これからはより個人や社会、共同体同士の関係性を重視した支え合いの時代となるだろう。悪く言えば傷のなめ合いをするような時代。それでいいじゃないか。我々は女性や何やという立場を超えてみんなで助け合える社会を目指したい。
選挙演説のようになってしまった・・・ニポポでした。
[3回]
コメント[0]
TB[]
2010
10,18
18:31
家庭医専門医3
CATEGORY[家庭医関連]
試験会場は東京医療センター。駅から遠くて辟易した。しかも東京は暑くて困った。開始
30
分ほど前には現地に着いたのだが、すでにほとんどの受験者が集合しており驚いた。
2
チームくらいに受験者が分けられていたのだが、それでも
50
人ほどはいたと思うので総受験者数は
100
名くらいだろうか。
皆、それぞれに待つ。教科書をひろげる者、プリントに見入る者、何をしていいかわからず笑顔で興奮している者。いろいろ。なんだか勉強している人が多くてまたびっくり。勉強することがあったんだ、という感じ。
2
回目だからおんなものか。
私の試験の最初は
CSA
(
clinical skill assessment
)。決められた時間で何ヵ所かのブースを回り、臨床技能?を評価されるというもの。
なんだっけ…エボラ出血熱の治療、ES細胞の臨床応用、「消えた年金」の医療行政への影響・・・嘘。ほんとは思春期の人の診察、うつ病の人の診察、たばこ止めたい人、海外帰りの胃腸炎、介護保険の必要な人、また介護保険の記載、縫合の実地試験、あとは忘れた。最初はどれくらいの時間の試験かもよく知らなかったので最初の医療面接が終わってから試験監督(名前は記載しないがその世界では有名な人)に
「何分の試験ですか。」
と聞いたらすごく軽蔑した目で見られた。悔しい。
試験自体はよくわからないうちに終わった。一体何がどんな基準で評価されるのか。ようわからん。全部で
2-3
時間だったか、一ブース
12
分とあとから知った。しゃべり倒した印象で、あいまあいまにときどきお茶を飲んだ。白衣、医療用手袋、聴診器は各自持参。そのくせ聴診器は使う機会がなかった。わざわざ北海道からいいのを持って行ったのに。背広を着ている人もいたがそうでない人の方が多かった。
要するにいつもの外来風景を再現すればいいということ。私には何を求められているのかよくわからなかったので、いつもどおりにした。
ところでこの面接試験、いつかネタ切れにならないだろうか。だいたい似通った面接になりそうな予感。試験の回数を重ねるごとにおそらくは洗練された医療面接が求められるようになるだろう。だから受験者はたいへんになるだろうと思う。まあ、僕が心配することではないかもしれないが・・・(関係者がこの文章を見ていないことを望む)。
筆記試験は次回また。
[2回]
コメント[0]
TB[]
<<
前のページ
|
HOME
|
次のページ
>>
忍者ブログ
[PR]